書評なんかあきらめろ 〜感想文が書けません〜

書籍の書評・要約をなんとかやってみようというブログです

書評

「脱社畜の働き方」を読んで ー 社畜を脱せど国を脱せず

 (Kindle版)


脱社畜ブログ」で一躍「脱社畜界の星」となった日野瑛太郎さんの本を読んだのだが、奥歯にものが挟まったような、前歯に青のりが付いちゃったような感覚を覚えたので悪口書評をば。

いやイデオロギー的には共感しまくりなところがあるのですが、実のところこのような「脱社畜論」に関してはまだまだ疑問点・問題点も多々あるような気がします。

プライベートプロジェクトを少しずつ育てていくという点には賛成しますが、「そもそもそんなことする余裕もねんだよボケ!」といわれたらそこまでで。いや、「時間は作るものです(キリッ」と言えなくもないし 、無理しない範囲でやっていけば良いんですが、そもそもそこまで根気が続くんだったらもっと多くの人が脱北、いや脱社畜できてると思います。

しかもそのプライベートプロジェクトというのが大きく分けてアプリ開発、ウェブサービス開発、ブログ・サイト制作という三本柱なのですが(その他動画配信や電子書籍も)、それも散々語られてきたことで、一見「誰にでもできそう(いやできる)」であるが故の「レッドオーシャン化」していることも否めず。要するに現実は甘くないぜベイビーという感じなんすよね。 

そしてノマドもそうなんですけど、自分でオーナーシップを握るというのはそりゃ魅力的なんですが、ヘタすると単なる「最適化」にとどまってしまうのではないかと。例えば経営者がなぜ報酬が多いかといえばその責任の重さ、範囲の広さによるわけです。従業員の生活を担っているわけですから、責任も重大です。それに対し、すべてを自分でやって責任も自分でひっかぶるというのは、それはそれで大変なんですが、やっぱり範囲が小さいので報酬だって小さいですよ、と。

そこででてくるのが「いや最低限稼ぐだけで良いじゃないスカー」という物言いなんですけれど(これもよくでてくるよな、まったく)いつまでそれが通用するのか、という話で。ちょうどアメリカがデフォルトでポシャる危険まっただ中なんですけど、どれだけ自分の半径30センチを「最適化」したところで、国家に所属している(せざるを得ない)以上、なんかあったら否応なしに巻き込まれるわけです。それとも何か? 自分だけはうまく逃げおおせるとでも?
貧乏だったら麦を食えば良いじゃないと言いたいところですが、それすらも危うくなったら?

んでまあ、またまた出てくるあろう物言いが「日本がダメなら海外に出れば良いじゃない(セカ就万歳!)」的なやつなんですが、いや住むところが変わっただけですが? 結局「国」に属することは変わりないですよね。どれだけアタマは地に足着かなくても、地に足を「付けざるを得ない」わけですから。
むしろ「そもそもよそ者である」ということがネックになるかもしれませんし。

「いやどこの国にいて何の人種だろうが、クラウドソーシングとかありますし(震え声」が聞こえてきそうですが、それも競争相手がもっと人件費の安い国の人々になったら辛いわけで。そうなるとよほど専門性・特殊性を高めていかないといけないことになって、最近では英語習得どころかプログラミングまでとか、どんどんハードルが高くなっていくじゃないすか。何のプレイですかこれ。

だからまあ、この本でも取り上げられているベーシックインカムが実現すれば良いんですけど。

タイラー・コーエン 「スイスでベーシックインカム導入?」

毎月2800ドルは・・・うーんw

とはいったものの、この国全体がなんか生きづらい空気になってるのは相変わらずなので、言及されているように、もっと他人に寛容になれる社会が来れば良いんですけど。 
(こちらは単行本版)

人類進化の700万年 - アフリカ大陸から来ますた

人類進化の700万年 (講談社現代新書)
人類進化の700万年 (講談社現代新書)
著者:三井 誠

概要:
四万~三万年前のヨーロッパ。ネアンデルタール人と現生人類のクロマニョン人が共存していたらしい。両者の交流を示唆する痕跡が、フランスなどに残されていた。知能に勝るクロマニョン人が作った石器と同じくらい工夫を凝らした石器(石刃)が、ネアンデルタール人の三万数千年前の化石とともに見つかっている。最新の研究で明らかになってきた私たちのルーツの新常識。(アマゾン商品紹介より)

ネアンデルタール人と現生人類の交流?


上記のように、ネアンデルタール人と現生人類の交流があり、その際に現生人類から石器の作り方を教えてもらったり、真似したのではないかと考えられているそうだが、その可能性は低いようだとも本書では指摘している。

1997年にドイツなどの研究チームが、約四万~三万年前と推定されるネアンデルタール人の化石からミトコンドリアの遺伝情報を読み取ることに成功し、現生人類と比較したところ、ネアンデルタール人は現生人類にはない遺伝的な特徴を多く持っていたことを突き止めたそうだ。つまり、ネアンデルタール人は、現生人類と遺伝的にはずいぶん離れた所にあり、ネアンデルタール人が現生人類に進化したわけでもなければ、混血もなかったことになるらしい。

しかしその後、2010年に我々現代人のほとんどはネアンデルタール人由来のDNAを受け継いでいるらしく、それは遺伝子構造のすくなくとも1%~4%になる、という研究結果も発表されている。

ニュース - 古代の世界 - ネアンデルタール人、現生人類と交配 - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ)

英語では、「時代遅れの人」や「野蛮な人」をさして「ネアンデルタール」みたいとも言われることがあるらしく、そのようなイメージを長らく抱かれていたが、1950年代に来たイラクのシャニダール洞窟で発掘された大人の化石はそこに一石を投じることとなる。
その化石は、生まれつき右腕が萎縮する病気にかかっていたことを示していた。研究者は、右腕が不自由なまま比較的高齢(三十五~四十歳)まで生きていられたのは、仲間に助けてもらったからだと考えた。
そこには助け合い、介護の始まりが見て取れたのだ。

個人的にはこのような大昔の人々の、現代人にも通ずる「人間らしさ」を伺わせるエピソードが印象に残った。

歯なし原人


ネアンデルタール人よりはるか昔、約百八十万年前と推定されている頭骨の化石(グルジアから発掘された)には、下あごの左の犬歯の他はすべて抜け落ちてしまった跡があったという。抜け跡のくぼみに歯が再生していたので、少なくとも骨が再生する間は生きていたことになる。
まるで老人にフガフガしていたのではないかとw(死亡推定年齢は四十歳前後)思われるが、それでも厳しい自然の中、そこまで生きていられたのは動物の骨髄など柔らかい食べ物を仲間に分けてもらい、命をつなぐことができたのではないか、と考えられている。
ここにも介護の精神(精神という概念があったのかどうかわからないが)が見て取れる。

最古の現生人類


アフリカ・エチオピアで発見された、約十六万年前の大人2人と子どもの頭骨は、現生人類よりもやや大きめの1450ccの脳をもっていたらしいが、ここにも現代人らしい心が芽生えた可能性もあった。
見つかった子どもの頭骨には、磨かれたような跡があったという。死後に頭骨を保存して、繰り返し手で触れていたらしい。死者を慈しむ感情が彼らにもあったのではないか。

ちなみに近所のパチンコ屋の前に招き猫の銅像があるのだが、頭がツルツルになっている。もちろん客がゲン担ぎにその頭を触っていくからだ。うん、全く関係ないです。

アフリカ大陸から宇宙まで


この分野はまだまだ謎も多いので、今までの定説を覆すような発見や研究結果がこれからも出てくるだろう。
我々はどこから来てどこへ行くのか───これは人間に取って永遠のテーマともいえるかもしれないが、その好奇心・探究心が人類をまた前へと進ませるのだろう。

歯なし原人も、フガフガいいながら仲間とともにアフリカ大陸を出て、はるか西アジアのグルジアまで旅を続けてきたのだろうか(グルジア付近で生まれ育ったのかもしれないが)
このころの原人の脳は600ccに過ぎず、初期原人の610ccにすら及ばないらしい。だから「脳が大きくなりエネルギーが必要になって肉食に頼ることが多くなった→そして脳も体も現生人類に近くなり、石器を使いこなせるようになった→だからアフリカ大陸を出ました!」というカッコいいものでもないらしい。
なんとな~くブラブラして「もっと遠くへ行ってみっか~」ぐらいの気持ちで旅を続けていたら「グルジアに来ました←New!」なのかもしれない。

となると、二十一世紀に生きる我々はどこへ向かうのだろうか。「ちょっと宇宙でも行ってみっか~」と地球を飛び出して旅する日も近いのかな?


人類進化の700万年 (講談社現代新書)
目次:
まえがき
第1章 人類のあけぼの
第2章 人間らしさへの道
第3章 人類進化の最終章
第4章 日本列島の人類史
第5章 年代測定とは
第6章 遺伝子から探る
終章
あとがき

帝国の時代をどう生きるか神話を解体せよ

帝国の時代をどう生きるか  知識を教養へ、教養を叡智へ (oneテーマ21)
帝国の時代をどう生きるか 知識を教養へ、教養を叡智へ (oneテーマ21)

著者:佐藤優

概要:
現下、世界は新帝国主義体制である! 米露中はじめ、経済では保護主義的傾向が増し、権益のブロック化が志向される。では、国家機能を強化するにはどうすれば良いのか、我々はどうこの世界を生きればよいのかを示す(Amazon内容紹介より)

いやー、調子に乗ってタイトルはまたホッテントリメーカーで作ってしまいましたw

引用・コメント:

今は貧しくても、チャンスさえあれば、上昇し、「六本木ヒルズ」での生活ができるようになるのではないかという幻想を新自由主義は植え付けますが、それは社会構造的にまず不可能です。新自由主義的競争は、小学校低学年生の徒競走ではありません。スタートラインに立った時点で「勝ち組」は自動車に乗っています。それを追いかける集団は自転車に乗っています。その競争に、いくら足の速い人が加わっても勝つことはできないのです。

>これはほんとにそのとおりだと思いますね。若者に夢を見させて商売する輩もいるんだろうからやっかいなもんで。だいたい成功本や自己啓発本を読んだって、儲かるのは読んだ人じゃなく、それを
書いた人と出した出版社なんですけどね。ちょっと考えを巡らせればそのことに気づきそうなもんなんですけど。そういう意味ではパチンコや競馬などのギャンブルと何も変わないのではないかな。


「人間の経済」の3つのシステム

第一は、相互扶助です。人々がお互いに助け合うことです。(中略)私はこのような「もたれあい」が重要だと思います。事情があって働くことができない人を、働くことができない理由の釈明を求めることもなく、恩着せがましい態度もとらずに、地域共同体がなんとなく助けるというのは、とてもよい伝統だと思います。それに、人間は「労働する動物」ですので、基本的には働くことは好きなのです。

>うーん。ほんとに「働くこと」が人の本質なのかしら?そもそも「労働」の概念っていつできたの?「働きたくないでござる」って人も大勢いると思うけど。


ニートにしても、地域共同体が最低限の生活を担保するならば、そのうち、ニートの多くが自然に働くようになると私は楽観しています。むしろ、新自由主義が急速に進捗する中で、働きたくても働くことができないという構造が、イデオロギー面を含めて出来上がっているところにニート問題の本質があるのだと思います。

>後半は全くその通りなんですけど、ニートが「そのうち」働くようになるというのは楽観し過ぎなんじゃ?最低限の生活が保障されれば、それこそ働かなくなっちゃうんじゃ?いや少なくとも
私は働きませんね。 

第二は、贈与です。経済的に成功した者が、見返りを求めずに地域共同体に自らの経済的利益を還元することです。正確に言うと、名誉という形での見返りはあるのでしょうが、市場のような計算可能な交換とは別の原理で働いている世界です。

>見返りが名誉だってんなら、今度は「名声欲」に駆られた人々がどうたらこうたら・・・っていうどこかで聞いたような、今まで飽きるほど繰り返されたことになるんでないかなあ。 

エリートは、自らの能力の一部を、社会のために贈与しなくてはならないのです。それが、人間の社会の掟なのです。贈与の必要性に関する意識、別の言い方をするならば、自己犠牲に対する意識をエリートが失うと、当該集団は内側から崩壊していくのだと思います。

>いやなんで「それが人間の社会の掟なのです(キリッ」 って言い切れるのか?佐藤優さんは人間社会の真理を悟った
サトリストなんですか?・・・サトウだけに。

で、第三は商品経済なんですが、 

価値法則だけに支配された商品経済の論理の外側に、現下日本人の思考が向かわなくなっているのは、一種の病理だと私は考えています。

>まあ、確かにその通り。余裕がないというか。助け合ったり、与え合ったりした方が自分も得るものは大きいはずなんですが、「いや、麦を食うしか無い貧乏人に、そんな人様に与えるカネもモノも無いよ!」となってしまうわけですよね。
でも考えてみれば、何もそれだけじゃないんじゃないかと。例えば他人を手伝ってあげるのだって、自分の「時間」や「労働力」を与えてあげてるので、それにより地域の人々との人的ネットワークができれば、今度は自分が困ったときに助けてもらえる訳で。
どうしても「カネ」や「モノ」を基準にしか考えられないのは、一種の病理なのかもしれない。ということは、社会システムがどうたら、というよりはそんな人々のマインドセットに問題があるのかな?それともシステムがそうさせてるのか。

で、久米島での例を挙げていまして、沖縄では商品経済とは別の、相互扶助と贈与の伝統があると。
いやまあ、いわゆる循環型社会になっていけばいいとは思いますけど、その道のりは長く険しいかも。我々の生きている間には実現は難しいかなあ。なんとなくですけど。 


感想:
新・帝国主義とか宇野経済哲学とかは難しくてよう分からんかったですが、フランシス・フクヤマが主張するようなグローバル化・フラット化が進み、新自由主義が世界を席巻するという言説があったが、事態はそう簡単には進まず、9・11やリーマンショックで国際政治と経済の両面において国家機能が飛躍的に強くなった、という部分はなんとなく理解できました。

かなり違うかも知れんですが、結局インターネットの普及をはじめとしたグローバル化は、世界をフラットにひとつにしたわけではなく、むしろ各国の「差異」を浮き彫りにしただけともいえるのではないかと。他の国のことがよりいっそう分かるようになって、「隣の芝生は青いな。あー
あっちはドス黒いな」とか。 実は世界は今まで思っていたよりはるかに凸凹で、それを解消するには相当根気がいるぞこりゃ、みたいな。

レイヤー化した世界のような、超国籍企業が力を持ち、国家の力は逆に衰えていくのはもっと遠い先の話なのか。(そもそも人も企業も国家という『枠』の中で活動しているのには変わりないので)
それともまた何か違った形になっていくのかはわからないですが、まああらゆる面において過渡期なんでしょうね。で、そういうときには多くの人々が麦を食わざるを得ないんだろうなあ・・・・・・というオチで失礼します。



帝国の時代をどう生きるか
目次:
序論 新・帝国主義の時代を生き残るための叡智をどう体得するか
第Ⅰ部 理論編
第1講 いまこそ「大きな物語」が必要だ
第2講 宇野経済哲学から資本主義を解き直す
第3講 宇野経済哲学から資本主義を解き直す(その2)
第4講 宇野経済哲学から資本主義を解き直す(その3)
第5講 自壊した政権の本質
第6講 到来した貧困社会の特徴
第7講 日本社会が内側から崩れる理由
第8講 商品経済の論理の「外側」を見直す
第9講 近代経済学は資本主義イデオロギーに囚われている
第10講 「ポスト・モダン」から宇野経済哲学に退却せよ

第Ⅱ部 実践編
第1講 ニヒリズムを分析する
第2講 国家統合の危機を分析する
第3講 復興担当相の辞任を分析する
第4講 検事総長のインタビューを分析する
第5講 フリードリヒ・リストを分析する
第6講 中国の空母就航をロシアからの眼で分析する
第7講 英国騒擾事件を分析する
第8講 ロシアの前原誠司観を分析する
第9講 野田政権の外交戦略を分析する
第10講 ロシアの野田政権へのシグナルを分析する
第11講 政治とマスメディアの関係を分析する
第12講 プーチン氏の露大統領への返り咲きと北方領土交渉の関係を分析する
第13講 外交における「死活的利益」を分析する
第14講 サイバー攻撃を分析する
第15講 沖縄をめぐる危機を分析する

結局残ったのはレイヤー化する世界だった

タイトルはホッテントリメーカー使いましたw すいませんw
レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)
レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる (NHK出版新書 410)

著者:佐々木俊尚

さて、我らが佐々木俊尚先生の新作ですよ!「キューレーション」「マイノリティ憑依」など数々のキャッチコピーを世に放ってきまして、お次ぎは「レイヤー化」ですか!さすがですねええええええええええ

と嫌みはこれくらいにしてですね、まあ軽く概要を。 

概要:
情報技術の革新は、メディアや産業の構造を根底から変え、超国籍企業を生んで労働と富のグローバル化を加速し、国ぐにの力を殺いだ。ITを基盤としたシステムそのものが権力化するなか、個人もまた、生き方の変容を迫られている。これから来る世界はいったいどのようなものなのか。そこで我々はどう生きていけばいいのか。斯界の第一人者が、テクノロジーの文明史を踏まえて未来の社会像を鮮明に描きだす。(本書カバーより)
(リンク貼ってしまいましたが、「斯界(しかい)」─── 「この社会、この方面、この専門の筋。」という意味だそうで。し、知らんかった・・・。)

まあ、ブクペでまとめも書きましたんで、内容はこれくらいにしてですね。
気になったところをいくつか。

引用・コメント:
二十世紀型の世界システムでは、仕事は巨大企業に集められていました。だからこそ企業の成長はその会社の中で働く人たちの幸せに直結していたのです。
しかし二十一世紀型のシステムは、仕事は企業の内側から外側に散らされ、企業のなかに幸せな人をたくさんつくる代わりに、世界中に幸せな人をつくっています。

まあ確かに、先進国企業はどんどん人が減っちゃって(最先端の企業ともなると初めからたくさん要らない)その代わり新興国や発展途上国はその受け皿として、雇用が増えてる。(それを考えると先ごろ発表された新型Mac Proがアメリカ国内での生産というのは興味深い)
「それはそれでいいこともありまっせ」的に読めるけど、会社から独立してフリーランスになることもできない/向いてない人もいるかもしれないじゃないスカ。(そんな人たちが大半だと思うけど)
じゃ、そんな人たちはどうすればいいんすかね?麦でも食ってればいいんですか?

これに対する有効な解決策があるのかないのか、わからんですけど・・・。

で、仕事や富が世界中に散らされると、企業のなかや国の中の結束もだんだんと弱まっていき、民主主義の土台が揺らいでいると。

民主主義が崩壊しつつある、というのはわかるけど、何主義がいいんでしょうね?
まさか帝国主義/軍国主義/独裁国家になるわけにも・・・。でもなんだかやな予感がしますが。ちなみに私は適当主義です。

(本書では中世の帝国は多民族国家であり、それらを結ぶゆるやかな世界の交易ネットワークがあったと。十九世紀から二十世紀はじめの「帝国主義」とはあまり関係なく、最初は武力で制圧するものの、いったん支配された内側では平和が長く続いたそうです。)

超国籍企業は「税金の非難」テクニックを高度に磨き、複雑に国から国へと収益を動かし、税金を払わないですますようになっています。
このような段階に達して、政府はもはや超国籍企業から富をピンハネすることができなくなっていきます。
<場>が進化し巨大化し、運営する超国籍企業がどんなに収益を増やしても、母国の政府の国庫はあまり豊かにならないという状況になってしまったのです。
これは政府の予算を増やさず、長い目で見れば軍事力を殺いでいくことになるでしょう。

うーん、政府ができなくなったら、民間の軍事企業がやるようになるのでは?民間への委託も増えているようだし。 
 

『僕らはいつまで「ダメだし社会」を続けるのか』を読んだぞ

僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想
僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想

著者:荻上チキ
出版社:幻冬社新書

概要:(『はじめ』により)
 本書は、僕たちが生きているこの社会の姿を知るための教養書でもあり、僕たちが目指すべきこの社会の未来を語り合う思想書でもあります。
  本書のメッセージをひと言で要約すれば、「これからの社会には、あなたの<ポジ出し>が不可欠だ、ということです。
 <ポジ出し>とは僕の造語で、ポジティブな提案を出すことを意味します。
 他人の提案に対し、延々とダメ出しを加えるだけではなく、もっとこうしたほうがいいと提案し合う議論を加速させなくては、もうこの社会は持ちません。
 逆に、あなたの<ポジ出し>がうまくいけば、この社会はまだまだ前に進むことができるはずです。
 どうぞ本書をきっかけに、あなたなりの<ポジ出し>の姿を描いてみせてください。 



引用・コメント:
 一方で、消費税とは、「富める者からも、貧しい者からも等しい税率で召し上げる」といった側面を持った税金です。つまり、税の中でも、特に消費税には、貧しいほど重税感が増す「逆進性」の問題があるということです。
 こう考えれば、特に再分配のために増税が必要なのであれば、本来、より収入の多い人が多く支払う必要のある所得税(あるいは法人税や相続税)を、ひとまずはその財源とし、その後様々な税制を検討すべきなのではないかという議論が、日本でもっと高まらなければいけないというのは、ある程度自明な話ではないでしょうか。

荻上さんは、どちらかというと累進課税派なのかな?(消費税もいずれは上げる必要があるとは言っていますが)。ここら辺は小飼弾さんとは違うところなのかな、と。

 お金のうえでのバリアフリーというのは、「ノッチ(刻み目)をなくす」ということです。いまはいくら以下なら無料だとか、累進課税にしてもこれ以上はなん%というように数字の刻み目が多すぎます。税率は階段状ではなくリニア、なめらかな直線状にするべきです。
 いまの日本の税制は累進課税ということになってますけど、実際にはあまり累進しているとはいえません。なぜなら、国が集めているお金というのは税金として集められているお金よりも、社会保障の名目で集めているお金のほうが多いからです。給料から天引きされたりする社会保障費、健康保険や年金には累進性はありません。しかも、上限つきのフラットタックスです。みんなだまされています。
(『働かざるもの、飢えるべからず。 だれのものでもない社会で、だれもが自由に生きる――社会システム2.0 (サンガ新書) 』p195より)

うーん、もうちょっと詳しくというか、図でもグラフでも資料を提示してくれるとよかったんですけど。

と思ったら、あったでござる。

404 Blog Not Found:taxpayer - 四公六民、七老三若、九流一蓄 

国税:43.6兆円に対して、社会保障負担は59.7超円でござるか。んー知らなんだ・・・。


その他印象に残ったのは「くじ」の話ですね。

 この社会には、様々な「くじ」が用意されていて、何千分の1であろうと何万分の1であろうと、必ずそのくじを引いてしまう人がいます。
(中略)
  そういった「まさか自分が当事者になるとは思いもよらないような『くじ』も、一定数の人が必ずそのくじを「引かざるを得ない」ことがわかります。
 そしてこの問題は、いつ何時、あなたの身の回りにも降り掛かってくるかもしれない問題なのです。 

そうなんですよね。例えば生活保護の問題も、「働かないのに金をもらうなんてけしからん!」という人がいますが、そういう人は「自分はそのような、働きたくても働けない状況に陥ることはない」との『絶対的な自信』がおありなんですね?それはちょっと想像力の欠如かな、と。

こんなこと言うと、「いや、全部がダメといってるわけではなくて、不正受給だったり、生活保護でパチンコやったりしているのがダメ、と言ってるんだ」とおっしゃる方々がいるでしょうが、生活保護をもらえるかもらえないかなんて、行政が決めることなんで。我々が決めることですかね?我々毎日汗水足らして(薄給で)働いている一般市民は正義ですか。そーですかー(棒)。

まあとにかく、「くじへの社会全体での備え」は、「くじ」を引いてしまった人だけでなく、そうでない人々にもメリットがある、と。

 こう考えてみると、世の中には「困ってる人」と「困ってない人」の2種類の人がいるにすぎない、と捉えることができます。
 どんな「くじ」を自分が引いたとしても、あるいは「くじ」が誰に配布されたとしても、「広く万人にケアが用意されている社会」というのは、「弱者に対してのみ優しい社会」ではなく、「万人に寛容な社会」だということです。 

うん、寛容さは大切っすね。それがいまの日本の社会からは失われつつあるのかな、と。余裕がなくなってきてるのかなあ。

感想:
ポジ出しとはいえ、ただ単に「イイネ!」って言ってるだけじゃダメじゃないの?という疑問が湧いたのですが、そのような「スラックティビズム」とどう向き合えばよいのかにも言及してくれています。 
ただ、結局「ポジ出しってなによ?」となると、冒頭に説明はなされているのですが、具体的によくわからんな、と。まあそれは各自が見つけていけばよい話なんですけどね。
けどそうなると、勘違いした人たちの、当たり障りのない「イイネ!」が横行することにもなり・・・(以下ループ) 


僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想


目次:
はじめに
第一章 僕らはどうして、「ここ」に流れ着いたのか
第二章 僕らはどうして、間違えた議論をするのか
第三章 僕らはどうして、「国民益」を満たせないのか
第四章 僕らはどうやって、バグを取り除くのか
第五章 僕らはどうやって、社会を変えていくのか 
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