ざっくりいうと
 

1.7割ほどのアリは巣の中で何もしていない。
2.アリには刺激に対する反応の違いという「個性」がある
3.個性があるから仕事の総体がまんべんなく回り、コロニーに有利

 



7割ほどのアリは巣の中で何もしていない。
 

驚いたことにある瞬間、巣の中の7割ほどの働きアリが「何もしていない」ことが実証されました。これはアリの種類を問わず同様です。案外、アリは働き者ではなかったわけです。


生まれてから死ぬまでほとんど働かないアリもいる。

変動環境のなかでは、「そのとき」が来たらすぐ対応できる、働いていないアリという「余力」を残していることが実は重要なのかもしれません。


ハチもアリも、若いうちは内勤で老いると外回りの仕事に就く傾向がある。

あるワーカーが生まれた場合、はじめのうちはできるだけ安全な仕事をしてもらい、余命が少なくなったら危険な仕事に「異動」してもらうことが、労働力を無駄なく使う目的に叶うことになります。つまり、年寄りは余命が短いから死んでも損が少ない、というわけです。


人間の場合はこれは当てはまらず、年寄りの知恵や経験が必要だから、お年寄りをたいせつにする、という風になったのでしょうけど、現代社会ではその価値も薄れてきているかも。
なぜなら、単純な知識であればいくらでも手に入るようになったから。


卵の世話など、巣にはほんの短時間でも途切れてはならない作業がある。

これをさせるには、全員が目いっぱい働いている状態ではダメで、ある程度余裕を持って組織がまわっている必要があるんですね。ニート万歳。


兵隊アリは喧嘩になると逃げる。

兵隊なのに戦わないw 兵隊アリは大きいので小型の働きアリよりコストがかかっており、それを多様のエサを賭けた戦いで失うのはコロニーにとって得策ではないから。そこらへんは徹底的に合理的というか。 当然人間の世界ではこうはいかないわけで、その分コストがかかり複雑になるかと。コストは組織/社会にとっては頭を悩まされる課題だが、それを知恵を絞ってなんとかしようというのも人間なわけで。何でもかんでもコスト重視になってしまってもいけないですし。


道を間違えるアリが交ざっているほうが、エサを効率よくとれる場合がある。

「間違える個体による効率的ルートの発見」という効果があるようです。正確にAの後を追う場合は、最初の個体Aが見つけてきた曲がりくねったルートを正直にたどってエサが運ばれるのに対し、間違えるものがいる場合は、最初のルートをショートカットするような効率のいいルートが発見されることがあり、持ち帰り効率があがるようだ、とのことです。


間違えたほうがいいこともある、と。人間の世界で言うと、トライ&エラーをする。そのほうがいろいろ発見できたり気づいたりすることもあると。


反応閾値とは「仕事に対する腰の軽さ」

アリは個体によって、この反応閾値がそれぞれ異なるので、まず反応閾値が低いものが、小さな刺激で動きだす。それらが疲れてくると今度は「今まで働いてなかった」個体が動き出す。 そのことによって仕事がまんべんなく回り、常にコロニー内の労働力/労働量が保たれていると。


反応閾値が異なることで、コロニーは守られている

もしも固体差がなかったら、みんな同じタイミングでエサを取りに行くので、コロニーを守る仕事をするアリがおらず、全滅の危機になってしまいます。 固体差があるからこそ、コロニー全体では臨機応変に動くことができると。
 

反応閾値に個体差があると、必要な仕事に必要な数のワーカーを臨機応変に動員することができるのです。

腰が軽いものから重いものまでまんべんなくおり、しかしさぼろうと思っているものはいない、という状態になっていれば、司令塔なきコロニーでも必要な労働力を必要な場所に配置できるし、いくつもの仕事が同時に生じてもそれに対処できるのです。


うーんでも「さぼろうと思っているものはいない」という前提なんですよね? 人間の場合はそううまくいかないのでは? 

刺激に反応する度合いが個体によってバラバラなほうがいい。最初は敏感なものたちだけが反応して仕事にとりかかるが、そのうち鈍い?個体も仕事をするようになっていく。仕事量が減ってくれば、鈍い個体から離れていく。非常によくできてる。
しかしさぼろうと思っているものはいないというのが必要条件なのかな? すると人間の場合、スキあらばさぼろうとする人はいるわけでw あと仕事してるフリとか。フリーライダーの問題もありますしね。
 

みながいっせいに働くシステムは、同じくらい働いて同時に全員が疲れてしまい、誰も働けなくなる時間がどうしても生じてしまいます。


上記した反応閾値が異なるシステムを採用している場合は、働いているものと休息しているものたちとのあいだで、労働のサイクルが生じるので、いつも誰かが働きつづけ、コロニーのなかの労働力がゼロになることがない。
つまり昔の「24時間働けますか」を実現したけりゃ、まず「やっぱり24時間は無理よねwww」という認識がないと。個人単位では十分に休息をとることでパフォーマンスを高め、組織全体でうまくサイクルを回すことによって「24時間戦う」体制を作れる。


疲労という宿命があると、働かないアリのいる非効率的なシステムのほうが長期間存続できる
 

つまり誰もが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、長期的な存続が可能になり、長い時間を通してみたらそういうシステムが選ばれていた、ということになります。

働かない働きアリは、怠けてコロニーの効率をさげる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在だといえるのです。


まあニート万歳ですよ。しかし人間の世界では「働かない」人/ことの重要性を認識してもらえるかどうか。「嫉妬や妬み」がやっかいなんですけど、それはまだ別の話になりますかね。
 

働かないものにも、存在意義はちゃんとあるのです。


そうです。そのためには多種多様な価値観や生き方を内包できる社会でないといけないのだが、社会が変わるためには人間のマインドセットが変わらないといけないのかなと。それは容易なことではないのだが、「成功例」を出すのが手っ取り早い。(「自由な生き方www」とかwww)
でもそのような新しい価値観が注目されてくると、いっせいにそれに群がって商売しようという輩もいるわけで。そしてわけの分からんバズワードが踊り、それに踊らされたあげく、失敗する人たちもでてくると。
しかしそのような「失敗例」はまあ当然のごとく闇へ葬られるので、また釣られる者と釣る者と群がる者がくんずほぐれつになる、ということのくり返しというのが残念な現実でもあるんですけど。
 

性能のいい、仕事をよくやる規格品の個体だけで成り立つコロニーは、確かに決まりきった仕事だけをこなしていくときには高い効率を示すでしょう。しかし、ムシの社会もいつ何が起こるか分かりません。高度な判断能力をもたず、刺激に対して単純な反応をすることしかできないムシたちが、刻々と変わる状況に対応して組織を動かすためには、様々な状況に対応可能な一種の「余力」が必要になります。


余力をもつことも大切だが、ムシのように単純な反応しかできないというのもいかんのでは。「動物化するポストモダン」ならぬ「ムシ化する現代社会」というか。
それはうまいこと踊らされてしまう危険性が高いので。思考停止は危険。
 

何が「役に立つのか」は事態が生じてみるまでわからないことなのです。したがって、いまはなんの役に立つかわからない様々なことを調べておくことは、人間社会全体のリスクヘッジの観点から見て意味のあることです。


付箋紙とか、全く関係ないところから生まれた発明も多々あるので。「才能の無駄遣い」も大切なのですが、それができるためにはやはり「余力のある」社会でないといけないんですよねえ・・・。
 

フリーライダーが増えすぎると、そのコロニーは滅びる。
 

「個体が貢献してコストを負担することで回る社会」とうシステムが常態化すると、そのシステムを利用し、社会的コストの負担をせずに自らの利益だけをむさぼる「裏切り行為」が可能になってきます。


まあ楽したいのが人情だよねえ。けどこれは問題になるのでは。フリーライダーの問題は論文もでてるくらいだからなあ。

社会階層と職場のフリーライダー問題:若年層における ... - nifty 


フリーライダーが滅ぼしたコロニー跡に通常型の新しいコロニーが生まれ、社会全体ではフリーライダーの数は一定に保たれる

そりゃまあ全体としてはいいんでしょうけど、個々のコロニーとそこにいる個人にとっては死活問題なわけで、やはりアリの世界と人間社会は違うんだよなあ、という感想がムクムクと出て来るのですけれど。


ある種のコロニーには、働かないで自分の子を生み続けるフリーライダーがいる
 

社会性の生物のなかには、コロニー全体の利益になることを一切せず、ただひたすら自分の子どもだけを生産し続ける裏切り者のワーカーがいることがあります。


うーん、でも全員がそうである、とはかぎらないからねえ。増えすぎれば困るだろうけど。人間でいえば、ばんばん子ども産んで子育てしてくれる人たちがいてもいいよねってことになるけど。ただでさえ少子化が問題になってる(そもそも問題なのか?)わけだし。


生物が群れを作ると、自分が食べられる確率がさがる「捕食回避」効果がある

自分がエサを食べている間、仲間が周囲を警戒してくれる防衛効果もある
 

一般的な群れるメリットとしてまず挙げられるのは、集団をつくるだけで「捕食回避」の効果があるということです。

鳥の例で重要なのは「群れ」をつくった結果、1匹では同時に成し遂げることができない複数の行為を同時に行うことができるようになる、ということです。


鳥は食事をしているあいだ下を向くので、上空の警戒ができない。でも群れでいれば常に群れのなかの誰かが上空を警戒していればよい。これを人間にあてはめると、リスク管理に応用できるかもしれないが、「誰かがやってくれているだろう」と誰もが思ってしまい、結果誰も何もやっていない、ということになりかねない。そこでテクノロジーの出番なんでしょうけど。

 


最後に

所属する集団が他の集団とどのように対峙しているかは、集団に属する個人の運命を大きく左右します。私たち人間は個人と社会のあいだに存在する様々な軋轢から逃れることはできないのです。

いやー「自由な生き方www」とか言ってる輩に聞かせてやりたいわー。
 



記事タイトルはまたいつものようにホッテントリメーカーで作りましたが、作者のphaさんといえばこれ。

 
でもこんな話もありまして・・・

ニート株式会社、倒産間近? 「ニート達の能力が低すぎて、取引先企業の仕事を請けても失敗する」 

アチャー・・・。