(Kindle版)


脱社畜ブログ」で一躍「脱社畜界の星」となった日野瑛太郎さんの本を読んだのだが、奥歯にものが挟まったような、前歯に青のりが付いちゃったような感覚を覚えたので悪口書評をば。

いやイデオロギー的には共感しまくりなところがあるのですが、実のところこのような「脱社畜論」に関してはまだまだ疑問点・問題点も多々あるような気がします。

プライベートプロジェクトを少しずつ育てていくという点には賛成しますが、「そもそもそんなことする余裕もねんだよボケ!」といわれたらそこまでで。いや、「時間は作るものです(キリッ」と言えなくもないし 、無理しない範囲でやっていけば良いんですが、そもそもそこまで根気が続くんだったらもっと多くの人が脱北、いや脱社畜できてると思います。

しかもそのプライベートプロジェクトというのが大きく分けてアプリ開発、ウェブサービス開発、ブログ・サイト制作という三本柱なのですが(その他動画配信や電子書籍も)、それも散々語られてきたことで、一見「誰にでもできそう(いやできる)」であるが故の「レッドオーシャン化」していることも否めず。要するに現実は甘くないぜベイビーという感じなんすよね。 

そしてノマドもそうなんですけど、自分でオーナーシップを握るというのはそりゃ魅力的なんですが、ヘタすると単なる「最適化」にとどまってしまうのではないかと。例えば経営者がなぜ報酬が多いかといえばその責任の重さ、範囲の広さによるわけです。従業員の生活を担っているわけですから、責任も重大です。それに対し、すべてを自分でやって責任も自分でひっかぶるというのは、それはそれで大変なんですが、やっぱり範囲が小さいので報酬だって小さいですよ、と。

そこででてくるのが「いや最低限稼ぐだけで良いじゃないスカー」という物言いなんですけれど(これもよくでてくるよな、まったく)いつまでそれが通用するのか、という話で。ちょうどアメリカがデフォルトでポシャる危険まっただ中なんですけど、どれだけ自分の半径30センチを「最適化」したところで、国家に所属している(せざるを得ない)以上、なんかあったら否応なしに巻き込まれるわけです。それとも何か? 自分だけはうまく逃げおおせるとでも?
貧乏だったら麦を食えば良いじゃないと言いたいところですが、それすらも危うくなったら?

んでまあ、またまた出てくるあろう物言いが「日本がダメなら海外に出れば良いじゃない(セカ就万歳!)」的なやつなんですが、いや住むところが変わっただけですが? 結局「国」に属することは変わりないですよね。どれだけアタマは地に足着かなくても、地に足を「付けざるを得ない」わけですから。
むしろ「そもそもよそ者である」ということがネックになるかもしれませんし。

「いやどこの国にいて何の人種だろうが、クラウドソーシングとかありますし(震え声」が聞こえてきそうですが、それも競争相手がもっと人件費の安い国の人々になったら辛いわけで。そうなるとよほど専門性・特殊性を高めていかないといけないことになって、最近では英語習得どころかプログラミングまでとか、どんどんハードルが高くなっていくじゃないすか。何のプレイですかこれ。

だからまあ、この本でも取り上げられているベーシックインカムが実現すれば良いんですけど。

タイラー・コーエン 「スイスでベーシックインカム導入?」

毎月2800ドルは・・・うーんw

とはいったものの、この国全体がなんか生きづらい空気になってるのは相変わらずなので、言及されているように、もっと他人に寛容になれる社会が来れば良いんですけど。 
(こちらは単行本版)